終戦の思い出

私は城南地区の生まれで、小学生のとき麻里府海岸まで友達同士で徒歩で海水浴によく来ていました。あるとき、空襲警報のサイレンがなり、軒下に隠れていると米軍の戦闘機が来て田名の海軍潜水学校(当時、私たちはそのように言っていました。)を爆撃しました。その光景をぶるぶると震えながらながめていました。また8月15には、友達とため池で泳いで友達の家に帰ると、正午のラジオで終戦を告げる玉音放送があったとききました。米軍が日本に上陸したら、女や子供はみんな殺されると大人の人が話しているのを聞いて、殺される前に、みんなで自殺しようと本気で話し合いました。しばらくして、学校に行ったとき校長先生から「今日は、皆さんに苦い砂糖を上げます。」といわれて、砂糖の配給がありました。子供の私たちは、なぜかわからず、家に帰って珍しい砂糖をうれしくて、うれしくて飛び上がって食べました。そして、厳しい戦後の生活がはじまりました。戦前生まれの方の体験はいかがでしたか。お聞かせください。